森の中にある小さな池。
その池は青い宝石のようだった。
それは、宝石が池の中一面に敷き詰められているかのように、水の中が真っ青に染まっている。濁りが無い。白く染まった池の底がハッキリと見えて沈んでいる倒木が見えた。
まるで倒木が骨のように見える。カルシウムが池の水に溶け出して、池の底に雪のように沈んで蓄積しているかのようだった。
その池の底に見えるもの。
それは────。
大型犬? 違う、狼だ。
白い毛並みの大きい狼が横たわっているのだ。
眠っているのか?
いや、違う。
こんな深い水の中、深い池の底なんかに沈んでいたんじゃ生きているわけない。
死んでいる? でもその体躯は腐らずに残っていた。
まるで、眠っているかのように。
「それは、俺が狼として生きていた時の姿だ」
背後から声がした。オロコだ。僕は声がした方向を振り向く。
「君は、やっぱり狼なんだね。僕をどうしたいんだ? 」
僕はなんとなく悟っていた。オロコも、ノンノも、やっぱり僕を『食べ』に来たんだ。
まあ、別にいいかな。この森の中はとてつもなく深い。樹海ってこういう所をいうのだろう。どうすればこの森を抜けられるのか。出口へ向かう事が出来るのか。僕には全然分からなかった。
「じゃあ、その魂、ちょうだいよ」
目の前の少女、ノンノが舌を舐めつつ僕を見た。
僕は絶望に近い、悲しい目になる。
「ノンノ、僕をここに連れて来たのは、そういう事なのか?
僕を食べに来たのか? 」
そうよお。彼女は僕を見てニヤリと笑う。一瞬、僕の後ろのオロコを見た気がした。その時、少し眉間に皺が寄った。
「オロコって、元々この地の生き残りの狼だったんだけどね。
昔々、信じていた人間に裏切られてこの地に逃げて来たんだけど、その時にはもう、命が消えかかっていたの。
仲間達は、西洋から来た奴らに、火を噴く武器で次から次へと殺された。
とうとう彼は一人になってしまって、私がいるこの湖にまで逃げてきた。
でも、彼の魂ってしぶといのよね。自分の身体をこの池に深く沈めちゃってさ、魂をこの霧の中に入り込ませて私達と一緒にしちゃったのよねえ。
面倒くさい事してくれちゃってさあ。
おかげで、今まで私がこの森の中に迷い込ませた人達の魂を食べてきたのが、全部駄目になっちゃうじゃない。
ミキオを見つけた時は、よし、これだ! と思ったのよね。
なのに、いつもの『餌場』に置いておいたのに。これじゃ全部おじゃんじゃないのよぉ。オロコォ! あんたいい加減にしなさいよ! 」
まるで、ノンノがこの森の中で料理を食べたかったのに、と言いたそうな表情をしているように、僕には見えた。食べるものが僕だなんてとても見えなかった。
「ノンノ、やめておけ。その男を喰うのにはまだ早過ぎる」
僕は、オロコを見た。悲しみを込めた瞳で見ているもの。
僕じゃなかった。オロコを見ているのはノンノだ。
「なんで⁉ 今こいつを喰わないと、あなたは死んじゃうんだよ? オロコっ!
池の底に沈んでいる〝狼〟としての身体は朽ちてしまうんだよ⁉
ねえ、分かってるんでしょ? 」
ノンノもオロコを見ていた。その目は悲しみを込めていた。
そうか。
この二人でペアなんだ。
ノンノはオロコの姿を残しておきたいから、次から次へと狼たちを全滅させていった人間達を糧にして、最後の狼のオロコを肉体が風化しないように……。
この池に沈めておいたのか。身体が半永久的に残るこの池に。
呪いが掛かっている湖に繋がっているこの池に。
人間が憎いから。
オロコの姿を残したいから。
……でも、オロコは魂が残って人間の姿になって。
僕と話しやすい姿になってまで、僕を死なせないとしてる。
今までノンノの勧めを蹴ってきたから。
オロコも消えたいんだ。