月が変わるとカレンダーがめくられるように、結婚をすると苗字が変わるように、雪が降ると会える女の子がいた。高校生の頃の話だ。いつもは僕一人のバス停の、悲しみのような寂れたベンチに、雪が降った時だけ、彼女は座って本を読みバスを待っていた。
 彼女はあまり口数の多い方ではなかった。しかし、その断片的な言葉を、星座を結ぶように繋げた結果、いつもは車で通っているらしいこと、あまり身体が丈夫ではないこと、夏よりは冬が、春よりは秋が好きらしいこと、この三点を僕は知った。逆に言うと僕はその三点以外のこと、たとえば名前だとか、彼氏はいるのかだとか、あるいは目の下にあるホクロを自分自身でどう思っているのかとか、まったく知らないままだった。僕にとって彼女は、いつもは車で登下校しているが雪の時はバスを使い、身体が丈夫ではなく、冬と秋が好きな、そして目の下のホクロが素敵な女性でしかなかった。
 北海道は雪の降る日が多かった。もちろん降る量も多い。あまりにも降りすぎた時はバスが運行を中止し、僕と彼女はバス停で遅刻を静かに悟るのだった。そういう時に、少しだけ話をしたのだ。
「どうして……夏より冬が好きかって。……よく分からない」と彼女は首を傾げる。僕のくだらない、ただ話しかけたいだけの質問に真剣に答えようとしているらしかった。
「夏より冬が好きなのは確かで、春より秋が好きなのは確かな気がする。でもどうしてかって考えると、急に分かんなくなるわ。……ねえ、君は夏と冬ってなにが違うと思う?」
「夏は暑くて、冬は寒いね」
「うん」と彼女は言った。「それで」
 僕はできるだけ気の利いたこたえを言おうと、言葉を探す。
「『夏』はなにか増えるって気がして、『冬』はなにか減るって感じがする」
 ふえる、へる、と彼女は僕の言葉を反芻する。
「ごめん、忘れて」と僕は言った。
「ううん。増えるのと、減るの。なにか分かる気がする。夏は増えてるし、冬は消えてる気がする。……ありがとう」
「どういたしまして」
「そろそろ、家に戻らなきゃ」
 バスの運行中止を知ってから、五分ほどが経っていた。彼女は今日、なにか別の手段を用いて学校に行くのだろうか。それとも諦めるのだろうか。僕は何も知らなかった。
「ねえ、ずっと君に訊いてみたことがあったんだけど、いいかな」と僕は言う。その日、僕は高校三年生で、明日は卒業式だったのだ。
「次は、春より秋が好きな理由?」
「違うよ」と僕は言った。「君はさ……」
 いろいろ、訊いてみたい事があった気がする。名前とか、彼氏のこととか、これからの事とか。けれど僕が訊いたのはもっと別のことだった。
「君はさ、そのホクロについて、どう思ってる?」
「ほくろ? ……ああ、これ」と彼女は自分の目の下を触る。
「消えなくて、鬱陶しいなと思ってる」
 それだけ? と彼女は首を傾げた。
「なるほど。こたえてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
 彼女はさして気にした様子もなく、学校とは反対方向に向けて歩いて行った。僕は一人残されたバス停で、もう彼女と会えることはないのだろうなと思った。いや、どうだろう。もしかしたら、何かの偶然で、また会うことがあるかもしれない。
 バス停の外では、いつかは消えるはずの雪が、けれど勢いを増してゆっくりと着実に地面へと落下していく。
 もし万が一、もう一度会う事があったら、今度はホクロ以外のことについて訊こうと僕は思った。