18の頃の僕たちには、敵のようなものがたくさんいた気がする。時間とか、お金とか、家庭の都合とか、男と女の違いとか、北海道と東京までの距離とか。それらの全てがこの太陽系第三惑星地球に住む、僕と彼女を引き裂こうとしているみたいだった。 
 羽田空港第一ターミナルから、旭川空港までの二時間。一人、片道一万円。旭川空港で出来るだけ安い朝食を食べ、バスを使い、旭川動物園まで行って、チケットを買う。
 小遣いなんて貰えなくて、親の財布から抜いてくるしかなかった五万円の、その半分がもうなくなった。先ほどまでは青空だった四月に、雲がかかっていた。

「やっぱり、今日は泊まっていこうと思う」

 日曜日の動物園には、いろんな幸せの形があった。
 手を繋ぐ、父、母、子供。
 まだ手を繋ぐ前らしい高校生のカップル。
 手を繋いでいたのに、些細なことで離れてしまう大学生。
 周りの目なんて気にしないで彼氏の腕をひっぱる、露出の多い女の子。

 羽田空港第一ターミナルの、長い廊下を歩いている時からずっと離さないでいたその手を、しっかりと握りながら、僕は言ったのだった。
「もう一日だけ、あと一日だけだから」

 目の前では自分たちの何倍もの大きさのあるゾウが、長い鼻を器用に使って水を飲んでいた。彼女は僕の言葉になにもこたえず、そのゾウたちを静かに見ていた。通りかかった若いカップルが、「ゾウはいいかなあ」と言って、僕たちの後ろを通り過ぎていった。
 
 太陽が雲に隠れて、そしてもう一度雲から顔を出したころに、彼女は言った。

「だめだよ」

「……そうだよね」

 分かっていたことだった。泊まる場所もなければ、お金もない。親からの着信は止まらず、さきほどから携帯の電源を切っていた。
 いろんなものが、僕と彼女の間にある、小さく幸せな形を切り離そうとしていた。目の前のゾウたちが、無関心に、その大きな足でドシドシと地面を震えさせる。
 高校三年生の僕たちには、北海道という土地はあまりにも広大すぎて、迷子になったような気分だった。どこにも行けず、どうすることもできず、そうして、彼女はゆっくりと僕の手を離した。

「……もう、終わりなのかな?」

「違うよ」

 ふふっと彼女が笑う。内緒話みたいな笑い方だった。
「ゾウってね、広い地球の、広い地面を歩きながら、あんなに大きくて、あんなにうるさいのに、内緒話をするんだよ」

「内緒話?」

「そう。人間には聞こえないとっても低い声で、遠く、ずっと遠くの仲間と会話をするの」

 彼女はこっそりと、小さな声で僕の耳に語り掛けた。ゾウたちの会話。大きなゾウの、小さな秘密の話。

「ゾウって、どんな話をするんだろうね」

「きっと、いろんなことだよ。いろんなゾウがいて、いろんな話をする。いろんな人間がいろんな形の話をするように、いろんなゾウがいろんな形の話をしている」

 だから、きっとわたし達も大丈夫。そう彼女は言ったのだった。

 一度離した手を、もう一度握り直して、僕たちは旭川空港でお別れをした。別れ際、彼女は「またね」と言った。
 いつ、もう一度会えるかなんて分からなかった。
時間とか、お金とか、家庭の都合とか、男と女の違いとか、北海道と東京までの距離とか。それらの全てがこの太陽系第三惑星地球に住む、僕と彼女を引き裂こうとしているみたいだった。そして、これからもそうなのだろう。今の僕たちには想像できないような何かが、もっと僕たちを切り離そうとしてくるかもしれない。

 けれど、僕たちはきっと大丈夫だった。

 帰りの飛行機の客席には北海道のパンフレットが置かれていて、僕は先ほどまでいた、際限なく広大に思える北海道の形をながめながら、そう思った。少しゾウの形に似ていた。