狼が眠る森4

僕はオロコの言う通り、朝五時過ぎに起きた。別に何時に起きろとは何も言っていない。だから僕は高校の部活の時に、早起きした時間に合わせたつもりだった。だから部屋を一旦出た時は、何があったか分からなかった。

 ここ、どこだ?

 確か僕は立派なとまではいかないが、それなりに泊まれそうな旅館にチェックインしたつもりだった。でも……。

 建物が違う。これじゃ小屋だ。

起きたか。オロコの声がした。僕は声がした方向を見た。

 周り一面が、静かな森。

森の木々に生い茂る葉の陰で,明けようとする空が殆ど見えない。

 改めて僕は、後ろを見て小屋を見た。

 やっぱり昨夜の旅館は影も形も無かった。狐か狸にでも化かされたのか?

「起きたか」

 後ろからオロコの声がした。再度前を向いた。

暗がりでも、朝が近いためか少し明るい。姿が分からない訳じゃない。

そこにいたのは、僕と同じくらいの姿。 

いや、僕よりも若く見える。少年の姿だった。中学生で通るんじゃないだろうか。

 いや、それよりもここは何処だ。

 ふん……。少年は鼻で僕を馬鹿にしたように笑う。

「ここは何処なんだ? 僕は旅館に泊まったんじゃないのか? あの子は、ノンノは何処にいる? 」

「死にたがりのガキの癖に、好奇心は旺盛みたいだな。本土にでも帰るか? 」

 馬鹿にしやがって。

「その好奇心はここでは要らない考えだ。死にたくないなら、ここは動かない方がいい」

 僕はもう一度小屋の中を見た。僕の荷物や着替え、全てが残っていた。違いは、昨夜僕は、確かに旅館に泊まって布団に寝ていた筈なのに、そこにあるのは湿っぽくてカビ臭い小屋の中がなんとか一泊なら泊まれる場所があるだけだった事だ。布団なんか一切無い。狸にでも化かされていたのだろうか。

「お前は霧のカムイにこの森に連れられて、外から閉ざされた所に放り込まれたんだよ。今は朝だからまだいいけど、夜だったらお前は喰われているぞ」 

「喰われる? こんな所でか」

 こんな所で人を襲ってくる動物でもいるのだろうか。

「違うよ、霧のカムイだよ。お前たちがいう邪悪な神様みたいなものだよ」

「霧のカムイ? なんだよそれ? 」

「お前がノンノといってる女の子だよ。もっとも、彼女には悪気はないんだろうけどな。彼女は寂しがりやだから」

 僕は、目の前の、狼と自分の事を指しているオロコや、彼が霧のカムイといっているノンノが、今更ながらに信じられない気分だった。

 僕は北海道にまで来て、幽霊か化け物に騙されてここまで来たのか。

「お前の言いたい事は分かるよ。でもお前だって悪いんだぜ」

 何がだよ。僕はオロコを問いただす。

「なんで僕なんかに……憑り付くんだよ。僕が悪いのか? 」

「簡単じゃないか。お前自分を取り巻く環境に絶望して、死に場所でも探してたんだろ? 静かな場所で自殺でもしたかったんだろ? 誘われて当然だって」

ふと、僕の身体の中に何かが沸き起こった。

勇気なんて前向きな言葉じゃ言い表せない。正反対のネガな心だ。
「じ、じゃあ、僕を殺したいのか? いいよ、殺せよ!

どうせ、僕なんか生きる価値なんか無いんだ。これ以上進学なんかできないんだ。やってられないよ。こんな馬鹿らしい人生なんか」
 やけっぱちな気持ちで、僕は本音をぶちまけた。

 そうだよ、僕はこんな人生に絶望して自殺しに来たんだ。文句あるか?

「じゃあ、私がその魂、食べてあげる。いらないんでしょ? 」

 突如、女の子の声が聞こえた。この声。この声は訊いたことがある。

 ノンノだった。でも昨日と違う雰囲気が漂っている気がする。

「ノンノ? でも昨日と何か違うんだけど……」

「あなたに見せてないだけよ。必要なかったし。オロコがばらしちゃったんだし、もういいよね。出来ればこのまま……」

 このまま、なんだよ。

 その時────、

突如、僕達の周りに立ち込めた深い霧が、急に嵐でも起こったように、風が唸り、撒いていった。一気に霧が晴れていく。

 何か見えた。なんだ?

 あっ────、思わず僕は声に出してしまった。

 僕の目の前の森が、まるで幕が開いたように見えた。

 そこにあったのは…………湖。

 摩周湖?

 いや違う。湖にしては小さ過ぎる。沼か池のようだった。