『新婚夫婦に限り、無料でお泊りいただけます』
そんな謳い文句のインターネット広告を見つけたのは、終電に揺られながらクリスマスの終わりを迎えた頃だった。
広告を出していたのは、北海道滝川市にある老舗の高級旅館。
しかも滝川といえば、旭川と札幌の中間地点で、どちらにもアクセスしやすいところも魅力的。
俺はすぐさま予約を取った。
当日、旅館に到着すると玄関で女将が出迎えてくれる。
女将の青白い不健康そうな肌がやけに目についたが、旅館自体は見事な造りで、すぐにそんな些細なことはどうでもよく思えてきた。
「越智裕也、梓様、ようこそお越しくださいました。お二人はご結婚したばかりでお間違いないでしょうか」
「はい」
「ご結婚おめでとうございます。今日という一日が、旅の良い思い出になりますように」
そういうと女将はにっこりと笑ってすぐに部屋に案内してくれた。
ひとしきり説明を終えて女将が立ち去る。
するとようやく梓が口を開いた。
「本当に大丈夫なの?」
「どうせバレないよ」
「だって私たち新婚どころか……」
梓はまだ不安そうにしていたが、すぐに夕飯が運ばれてきたのでそれ以上は何も言わなかった。
出されたのは、北海道の幸をふんだんに使った懐石料理。カニやホタテといった海の幸から肉、野菜。どれも絶品。
「これ、本当に無料なんですか? 後から請求しませんか?」
「致しませんよ」
「なら何故こんなキャンペーンを?」
「……実はこのあたりに雪女伝説があって」
「雪女?」
「愛し合う二人の仲を応援すると、雪女が雪害から守ってくれると言われているんです」
女将は嬉しそうに語っていたが、気味が悪く思った俺はすぐにスマートフォンで雪女について調べてみた。
――明治二十五年頃、北海道滝川市の穴倉で細いつららを抱いて凍死している男が発見される。
この男は雪女に殺されたと噂されていた。
雪女の正体は故郷に残してきた恋人で、寂しさ故に病死した後に、魂となって男に会いに来た。
二人は逢瀬を楽しんだが、男が凍死して二人の恋は終わる。
そんな悲恋のうちに死んだ二人が、恋人や夫婦を守ってくれる、果ては恋を応援した人たちまでも御利益があるという話に発展したらしい。
「……もし、夫婦以外が泊まったら?」
恐々と尋ねると、女将の目が一瞬剣呑な色をまとった。
「ご心配には及びませんよ。お二人は間違いなく新婚さんなんですから」
しかし女将はすぐに物腰柔らかく微笑み、去ってしまった。
「まずいんじゃないの」
「ただの昔話だろ」
軽い調子で宥めようとするが、梓は落ち着きなく部屋を歩き回る。
「ねぇ、寒いんだけど」
「暖房を上げたらいいだろ」
しかし暖房もストーブも一向に効いてくる気配がない。
「私、帰る」
「梓!」
梓は慌てて荷物をまとめて、部屋を飛び出してしまった。すぐさま俺も後を追うが――
「お客様、こんな夜更けにどちらまで?」
廊下を出るとすぐに女将に声をかけられたのだった。
「急な呼び出しがあって、帰らせてもらいます」
「いけません」
「お金、払わなきゃいけないなら払います。だから帰らせてください」
梓は半ば泣きそうになりながら、女将に懇願した。
「だったら、二百万は貰わないと話になりませんね」
「は!? なんでそんなに……」
梓が悲鳴を上げたそのとき――俺は女将の白い顔の中に、妻の面影を見つけた。
「雪?」
俺が名前を呼ぶなり、女将は目を吊り上げ、俺の頬を力いっぱい殴りつけた。
身の毛がよだつ冷たい衝撃が頬から全身に広がっていく。
命の危険を感じる。
しかし指の一本も動かすことができなかった。
「助けてくれ」
一縷の望みを掛けて懇願すると、俺の頬に冷たい氷の粒が振り落ちてきた。
「アンタみたいな尻軽男、雪女も殺さないわ」
ハッとして目を開ける。 すると女将も旅館も跡形もなく消え失せ、俺と梓は激しく雪の降りこむ洞穴に放り出されていたのだった