「ねえ、知ってる? トンボ玉に願いを込めるとそれを叶えてくれるんだって」  
幼い彼女は太陽に綺麗なトンボ玉をかざしながらそう笑った。
「また、いつか二人でここに来ようね」  
その微笑みに目を奪われて、僕はこくりと頷いた。

*  

北海道は小樽市。  
運河沿いの歴史溢れる街並みは道外だけではなく地元の人々にも愛されている観光地。
僕が小学六年生の頃、学校の行事で小樽に遊びに来た。

 
自由時間は班行動だ。  
男女それぞれ三人ずつ、計六人での行動のはずだった。
「渚ちゃん。そろそろ行かないと……!」  
小樽のガラス館、そこで同じグループの渚ちゃんはじっと立ち止まっていた。  
なにかを真剣な眼差しで見つめている。黒髪の大人びた綺麗な女の子だった。  
何度も声をかけるが渚ちゃんは動かない。
次第に「あいつら置いてこうぜ~」という仲間の声が遠ざかっていった。
「どうしよう、皆いなくなっちゃったよ!」  
慌てる僕を差し置いて、渚ちゃんは一切慌てた素振りはみせなかった。
「大丈夫よ。最後に集合場所に戻れば良いんだから」  
こんな時まで彼女は大人びていた。
というか単に肝が据わっていただけかもしれない。
「でも……」
「ふふ、せっかくだから二人で遊びに行こう!」
「ちょっと!」  
そういって僕は渚ちゃんに手を引っ張られた。  
よく知らない小樽の町を、僕たちはたった二人で見て回った。
「渚ちゃん! そろそろ帰らないと!」  
小樽運河を眺める橋の上で渚ちゃんはポケットからあるものを取り出した。  
集合時間までは残り五分を切っていた。
「ねえ、これあげる!」  
差し出されたのは綺麗なトンボ玉のキーホルダーだった。
「二つ買ったの! だから一つあげる!」
「ありがとう」  
僕に差し出されたのは青と緑が混ざったトンボ玉。  
そして渚ちゃんは水色のトンボ玉を太陽に向かって掲げた。
「ねぇ、知ってる? トンボ玉に願いを込めると叶えてくれるんだって」
「そうなの?」
「うん。私が今考えたんだ」  
くすくすと渚ちゃんは悪戯っぽく笑う。
「だから、私が今お願いするね!」
「なにを?」
「……また、海斗くんと一緒にここにこれますようにって」  
寂しそうに笑う渚ちゃん。  
そうだ。彼女はもうすぐ転校してしまう。
これが最後の思い出作りだったんだ。
「海斗くんと一緒にこれてよかった。付き合わせてごめんね」
「ううん。僕も楽しかったよ」  
海風がふわりと吹き付け、渚ちゃんの黒髪がたなびく。  
多分僕はこの日のことを一生忘れないだろう。  

――そして十年後。

「おーい、渚!」  
小樽運河の橋の上、大人になった彼女はそこに立っていた。
「ねぇ海斗。小学生の時ここにきたこと覚えてる?」
「ああ。忘れるわけないよ。渚に連れ回されて、集合時間遅れて先生に怒られた」
「もう。そっちじゃないよ」  
不満そうな渚の横に僕は立つ。
「忘れるわけないよ。トンボ玉の願い事、だろ?」
「また一緒にこれたね。私のお願いごとは絶対叶うんだから」  
手を取り合う。  
二人の左の手薬指には結婚指輪。  

あのトンボ玉が僕たちの願いを聞き入れてくれたかどうかは分からないけれど。  
僕たちはもうすぐ、夫婦になる。