ある休日の朝。

いつもと同じように、一人で釣りに出かけたら、ムチムチの人魚を釣り上げてしまった。

「あう! なんでもするから食べないで! 海に帰して!」

 アザラシのようにムッチリとした尾を、ぴちぴちと激しく動かして抵抗する姿は、とても愛らしく、何かのマスコットキャラクターのようだ。

しかも、少したどたどしい日本語が余計に庇護欲を誘う。

「いや、人を食べたりしませんよ……。あの針を外すので、暴れないでもらえますか?」

「……本当? ニンゲンに見つかると食べられるから気をつけなさいってフチ、いつも言う」

 人魚さんはずいぶんと警戒しているようで、なかなか近づかせてくれない。

「私たちを食べたら不老不死になれるって、ニンゲン、勘違いする。それにアザラシみたいに美味しいから、いっぱい仲間食べられた!」

「アザラシ?」

「あうあう~! 自分で自分のこと、美味しいアピールしちゃった! 失敗!」

 この人魚さん、よく今まで無事だったな。

 と、一瞬呆れたが、すぐにある意味ドジだからこそ生き残れたのかもと、思いなおした。

なぜなら、近海を回遊するアザラシを含めた海獣たちは、観光客には人気のようだが、新米漁師の俺からしたら、漁を邪魔してくる憎い相手。あまり良い印象はない。

なにより――

「アザラシ、美味しくないですよね」

「え!?」

「あっさりしていて味自体が悪いわけじゃないけど、独特の獣臭さを我慢して食べるものじゃないというか」

「そんな……!」

 人魚さんはがっくりとその場に崩れ落ちた。

 観光客向けにカレーや甘辛い大和煮にして売り出しているが、残念ながら大人気のご当地珍味とは言えないのが現状だ。

「どうせ北海道でジビエを食べるなら……エゾシカとかどうです?」

「エゾシカ?」

 すぐさま人魚さんは期待に満ちた眼差しを俺に向けた。

「鹿肉は、あっさりめの牛肉って感じで普通に美味しいですよ。特にエゾシカのローストなんて絶品ですね」

「ろーすと」

 人魚さんがごくりと生唾を飲み込む音がした。

「はい。柔らかいけど、噛んだらしっかりと肉の味を感じられる程度の感触はあって。それから、獣肉っていうと匂いを嫌がる人が多いんですけど、鹿は、下処理の技術の向上もあって全然気にならないんです。なので、素材の旨味がそのまま味わえるローストが一押しです」

「うまみ」

「それにアザラシって味の癖が強くて食べにくい上に、かなり脂肪分が多いんですよ。タンパク質や脂質が貴重だった時代ならともかく現代人からすると嬉しくないですよね。その点、鹿は高タンパクで低脂肪。おいしい上にヘルシーなので、安心して食べられ――」

 ついつい興が乗って、講釈を垂れ流していると、途中で豪快な人魚さんの腹の虫に阻まれた。

「お腹、空いた」

「そんなこと言われても、ここじゃ鹿肉は出せませんよ」

「……食べるまで帰らない」

「え。さっきまで海に帰してって」

「食べさせてくれないなら……!」

ジットリと俺を睨みつけながら、ジリジリと這い寄ってくる人魚さん。

「くれない、なら……!」

しかしどうしても人魚さんは脅し文句が思いつかないらしく、言葉に詰まって俯いてしまった。

「……わかりました。なんとかします」

「ありがとう! えっと……」

「海斗です」

「あう! ありがとう、カイト!」

 こうして俺は人魚さんに「エゾシカバーガー」を買ってきてあげることになったのだった。

「お肉じゅわじゅわ! ケラアン~おいしい!」

 釣りはできなかった上に一日潰れてしまったが、尾をパタパタと動かして、感激する人魚さんを見ていると、たまにはこういうのも悪くはないと思えてくる。

 ――けれど、このときの俺はまだ知らない。

気まぐれな親切がきっかけで、人魚さんに何度も何度も食べ物を強請たかられるようになるなんて。