「シウキナトペン、キナトペン――フッサ!」

 道草を食うなよ。たしかに俺は幸奈に忠告したが、本当に「道に生えている草」をむしって食べるだなんて想像もしていなかった。しかも怪しげな呪文を唱えて。

「げ。にっが……!」

「これ飲んで」

 案の定、幸奈はしかめ面で草を吐き出していたので、俺はお茶のペットボトルを差し出してやる。

 すると彼女はものすごい勢いで、500mlのお茶のほとんどを飲んでしまった。

 彼女は普段から突拍子もない行動を取る人で、そんなところを愛おしく思うことも多い。だが、今日の、このタイミングでのコレは――色々と考えずにはいられない。

 今日は幸奈の実家に初めての挨拶をするために、北海道の道北・十勝地方にある広尾町にやってきたのだから。

 彼女の実家はてん菜を中心に育てている農家で、五月も半ばを過ぎ、苗の植え付けが終わって少し農作業が落ち着いたタイミングで挨拶をするために、少し遅めのGWを取ることにした。

 レンタカーを借りて彼女の家に向かっていたのだが、道中突然車を止めたかと思うと、呪文を唱えて草を食べ始めたのだ。しかも苦いといってすぐに吐き出すような謎の草を。

 

「……今日、行くのやめとく?」

「え? なんで?」

「いや。なんでって聞きたいのは俺の方だよ。いきなり草食べるからびっくりしたよ。……実家に行くの嫌だったの?」

「そんなわけないでしょ。仕事も楽しいしヒロに会えて幸せだけど、東京にいると北海道が懐かしくなることも多かったから」

「じゃあなんでいきなり」

「だって、なつかしかったから」

「昔からその辺の草、食ってたの?」

「その辺の草って……これは、エゾニュウだから食べたんだよ。立派な山菜だから」

 そう言って彼女は再び草に噛り付き、やはり同じようにしかめっ面を繰り返したのだった。

「その、さっきから言ってる呪文みたいなのはなんなのさ」

「シウキナトペン、キナトペンっていうのはー……。んー、なんだっけ? なんかわかんないけど、これを唱えたらエゾニュウが甘くなるって昔から言われてて、なんかいつも唱えて食べるんだよね」

 聞いてみたものの、かえってきたのは曖昧な答え。

 インターネットで検索すれば真実を知ることもできそうだったが、俺には幸奈の答えで十分だ。

「いつも唱えたってことは、何度も食べてるんだ。まずそうなのに」

 幸奈の持つ『エゾニュウ』に手を伸ばす。葉や茎は少し独特な形をしていて、メジャーな山菜類でいうとウドやセリに似ているように見える。

「まずいっていうか、エグい、って感じ。山菜だしね」

「ふーん」

 興味本位で俺もかじりついてみた。口いっぱいに広がるのは、食べなれない渋みとツンとした酸味が混ざった独特な味わい。それからほのかに甘みがくるような気はしたがとても好んで食べる気にはなれない。

「これを何度も食べたのか」

「うん。クマも好きなんだよ」

「は?」

 物騒な言葉がサラっと出るあたり、北海道という地域の特殊性を改めて痛感した。

「とりあえず家行くの、嫌じゃないよ。……ヒロは?」

 急に俯いて、不安そうに声のトーンを落とすのは正直ズルいと思う。

「嫌じゃない。緊張はしてるけど」

 けれど可愛い彼女に乗じて、甘える俺はもっと小狡い男なのだろう。

 彼女を包み込むように背後から抱きしめると、彼女はくすぐったそうに肩をすくめた。

「……相変わらず、ヒロは大きいなあ。エゾニュウには負けるけど!」

「へ?」

「これ、今は小さいけど、夏には3mくらいまで伸びるもん」

「でも、幸奈には俺がちょうどいいだろ」

 目の前にある耳を甘噛みすると、幸奈はぶるりと身震いした後にすぐに振り返る。

「もー!」

 潤んだ目が可愛くて、今度はおでこに口付けを落とす。

「口直し」

 当然のように俺は叱られたが、車に乗り込むころには口の中の苦味などすっかり消え去り、俺たちは二年前の付き合いたてのころのような初々しさをまとって、目的地へと急いだ。