七夕と聞くと、おおよそ500万人の人間は、七月七日のことではなく、八月七日のことを思い浮かべる。北海道では、旧暦の名残で、七夕を後者の日に設定している地域が多いのだ。
東京に出て来てもう十年以上経つが、やはり僕もまだ、七夕といえば八月七日だと思う人間の一人だった。
 ただ今年は珍しく、七月七日にそのことを考えた。郵便受けに、実家を経由して、懐かしい名前からの手紙が入っていたからだ。彼女と仲良くしていたのは、もう随分と昔になる。あの頃と変わらない、雨の雫のように丸まった字で、手紙は書かれていた。
『来月に東京に行くことになりました。ちょうど25年です』
 そうか、25年か、と僕は思った。そして手紙はこう続いた。
『夫と、子供の三人で住む予定です』

「25年経ったら大丈夫になるよ」と、その女の子は言った。退屈な夕方に、仕方ないから開けた放課後のカーテンのような声音だった。
「どうして25年?」と僕は言う。
「25年も経てば、叶っているか、忘れているから」
短冊を笹にくくりながら、なるほど、と僕は思った。
 今思うに八歳にしては、僕たちは少しだけ賢しいというか、小賢しいというか、あまり可愛げのない子供だったと思う。実際、クラスの中で僕と彼女は浮いた存在だった。だから、みんなは休み時間のあいだに済ませていたのに、こうして放課後になって二人でひそひそと短冊を飾るしかなかった。
「七夕って馬鹿みたい」と彼女は言う。「どうせ25年もしたら忘れちゃうのに」
「それで、忘れる予定の願い事にはなんて書いたの?」
「忘れてもいいことよ」と彼女は何でもないように言って、何でもないような表情で、何でもないような仕草で、短冊を僕に見せた。
『ずっと一緒にいられますように』
と書かれていた。僕は幼いながらに、彼女の平然さに潜む違和感を見抜きながら、けれど見て見ぬふりをした。
代わりに、「なるほど。忘れてもいいぐらい、どうでもいいことだね」と言う。
「そうでしょ。そっちは?」
「どうでもいいことだよ。つまり、同じ」
「そう。すぐに忘れられそうで良かったじゃない。……ねえ、やっぱり馬鹿みたいね」と彼女はやはり何でも無さそうに言ってから、我慢しきれずに、少し笑っていた。

 あれから25年が経つが、答え合わせなんてするまでもないだろう。願いは叶わなかったのだ。こうして手紙がくるまで、僕たちは連絡すら取っていなかった。
 ただ一度だけ、大学生になって七夕について調べたことがある。25年。どうして彼女はその数字を出したのだろうと気になったのだ。
 そして地球と織姫星、つまりベガまでの距離が25光年だということを知った。地球でどれだけ短冊に願い事をしても、それが織姫に届くまでは25年の歳月がかかる。

「25年経ったら大丈夫」

 彼女は知っていたのだろうか。なんにしても、さすがの織姫も気まずい顔をするだろうなと思った。

僕はよく晴れた七月の日曜日を、まるまる手紙への返信の時間へとあてた。きっと律儀な彼女のことだから、今になって手紙を送ってきたのには謝罪の意味も込められていたのだろう。別に気にしていないのだと言外にひそませながら、僕は冗談を書きつづった。言葉につまると、換気扇の下までいって煙草を吸って、そしてまたペンを握る。何度も机と換気扇を往復しながら書いた文章を、最後に読みかえす。まるで他人が書いたような文章だった。
 だめだな、と僕は苦笑いをして、最後の文章だけ書き直した。

「これはすぐに忘れてもいいぐらい、どうでもいいことなんだけど、今でも七夕というと、僕は八月七日だと思ってしまいます」

 ねえ、やっぱり馬鹿みたいね、と笑う彼女の姿が想像できた。