太陽と月が何回入れ替わっただろうか。
もはや覚えちゃいないが、一つだけハッキリしている事がある。
きっとオレはもうすぐ死ぬ。
だから鳴く。
残された最後の一滴まで振り絞るように。

羽化と共に手に入れた自我が初めて得た感情は、「五月蠅い」だった。
止めどなく放たれる車の走行音、人間達の会話、オレより先に羽ばたいていた同胞の叫び。
よりにもよってこんなところで、と嘆いていると、すぐ横でオレと同じタイミングで羽化した奴らが2匹居る事に気づいた。

ミンミンとカナカナ。
そしてオレはシャンシャンだ。
オレ達はお互いを鳴き声で呼び合った。
何故か羽根の動かし方を知っていたオレ達は、特に示し合わせた訳でもなく、一緒に世界へと飛び立った。

表の世界は煌めていた。
木々が連なる緑道。
人間達が犇めく雑踏の中。
昼は暖かな陽光に包まれ、夜は鮮やかな光に照らされたりもした。
2匹の仲間と共に空を縦横無尽に駆けながら好きな場所で自由に鳴く。
この世界に命を与えられた事を心から有難く思ったものだ。

だが、その旅もこれまでのようだった。
嘘のみたいに重くなった体では満足に飛ぶ事も出来ず、徐々に失われていく気力と続かない鳴き声。
燃やしていた命が尽きたのか、先程まで体を震わせていたカナカナが落ちて行った。
悲しくはない。
きっとオレも後を追うだろうから。
ミンミンもダメそうだ。
いくら呼びかけても返事が帰って来る事はなかったから。

そして、いよいよ死が迫って来た。
何者かがオレを呼ぶ声が聞こえて来る。
怖い?
バカ言え。
逆だ。

あの日檻から出て皮を破った時に、オレという存在が確立した。
その時既に悟っていたのだ。
再び大地に帰る時が来る、と。

では何故生まれたのか?
答えは簡単だ。
オレという存在が居た事を世界に知らしめるのだ。
それこそがオレが生まれた意味であり、存在している理由なのだ。

オレは全身を巡るありったけの命のチカラをかき集めて、全力で羽根を震わせた。
いよいよ最後の大舞台だ。
この声はどこまで聞こえているだろうか?
誰でもいい、聞いてくれ。
オレはここに居る!

その瞬間は突然やって来た。
プツリと何かが千切れる音がしたと思ったら、オレを構成する全てが分解される様な感覚に襲われた。
なるほど、こうやって還って行くのか。
思ったより悪くない。

木に張り付く力も無くなったオレは、先程のカナカナの様に地面へ真っ逆さまに落ちて行った。
その最中、視界の隅に人間の少年が映った。
きっとオレが開いた音楽会の観客だ。
「聞いてくれていたのか。ありがとうよ」と口にしかけた時、ふと少年と目が合った。

少年の瞳に宿っていたのは「憐れみ」だった。
その瞬間、感謝の気持ちが何処かへ去っていき、オレの胸中を支配したのは同じ「憐れみ」だった。
他でもないこの人間という生き物に対してだ。

短い一生ではあったが、この世界を支配する人間についてはよく知る事が出来た。
どうやらこいつらは、自分達が生まれた理由や意義を知らないらしい。
それどころか、死に方も選べない様で、酷い時には同種族同士で殺し合う事もあるそうだ。

こんな時になんだが、心の中で苦笑してしまった。
憐れなのはお前らの方だろう、と。
もし、もしだ。
もし生まれ変わったとしたらどうだろう。
この世に生まれ落ちて、人間として生きることほど辛いものはないんじゃないか?

「神様、もし生まれ変わるのなら人間以外で頼むぜ」

最後に残った力でそう呟くと、オレの意識は真っ暗の闇の中に沈んでいった。