「そのうち夏だねぇ」
と言って、三浦さんは押し入れからストーブを出してきた。
五月も半ばを過ぎた。そろそろ春も終わり、夏が近づいてくるという頃で、三浦さんの言葉通りの季節だというのに、三浦さんが部屋に出してきたのはストーブだ。
「あの……」
「ちょっと灯油取ってくるから待ってて」
「あ、俺、運ぶよ!」
「……いいの?」
三浦さんが本当に嬉しそうに笑うものだから、俺はツッコミを入れるタイミングを失ってしまった。
進学のために北海道にやってきて、早二か月。
まさか、三浦さんの家に上がり込むチャンスが来るなんて思っていなかった。
生クリームみたいに柔らかそうな白い肌が印象的な可愛らしい人で、同級生の中でも目立つ三浦さん。舞い上がるなという方が無理な話だ。
とてもまともなレポートが書けるとは思えない。
だが、だからといって、まさかストーブを出すだなんて想像できるはずもない。と同時に、雑に「何してるのさ」とツッコミを入れられるほどの仲でもない。
あくまでただの同級生。
俺はへらへら笑いを浮かべて、物置に向かう三浦さんの後をついていくので精一杯だった。
「暖房じゃなくて、こっちはストーブなんだね」
違う。そんな話がしたいわけじゃない。
「うん。ストーブの方が温かいしコスパいいから」
「そっか。あ、焼きみかんとかするの?」
「え? まぁ、うん。する、かな」
違う違う。こんな他愛のない会話がしたいわけじゃ……。
いや、ちょっと待てよ。
よくよく考えてみれば、俺は正しさを主張するために、三浦さんの家に来たわけじゃない。
俺は三浦さんと仲良くなるために、そのついでにレポートを書くために家にお邪魔しているわけだ。
となれば、今大事なのは「夏にストーブっておかしくね?」などと無粋な正義感を振りかざすことではない。俺がやりたいのはまさにコレ。
俺は、三浦さんと他愛のない話がしたい。
「焼きミカンと焼きリンゴだとどっちが好き? あ、焼きバナナもいいな」
「何? ストーブで何か作るのに憧れでもあるの?」
「え、いや、そういうわけじゃないけど……」
呆れられたかもしれないと不安になるが、小さな体をさらに縮めてクスクスと笑う仕草が可愛くて、ちっぽけな羞恥心なんてものはすぐに霧散してしまった。
「ジンギスカンもしたことないんだよね。今年は花見でもできなかったし」
「花見でジンギスカンを焼くなんて新歓に持って来いなのにな」
「来年は、できるといいね」
思わず黙り込んでしまう。
お互い入学したてなのだから、来年があることは当たり前のこと。だけれど、三浦さんの口から飛び出した未来を約束する言葉は、俺にとってあまりにも甘すぎて。
「じゃあ、これお願いします」
「……はい」
灯油をもって部屋に向かう。重さ自体は大したことがないが、三浦さんとの会話が途切れてしまったせいで、妙に気を張ってしまっていた。
緊張のせいなのだろう。避けようと思っていた話題に中途半端に触れてしまった。
「こっちは梅雨がないから過ごしやすいのかと思ってたけど、灯油運んだり結構大変だよね」
「私からすると当たり前のことなんだけど。でもリラ冷えは驚くよね」
「え? リラ……」
「ライラックのこと。この辺ってもうすぐ夏だーって頃になってからもう一度冷え込むんだけど、それがちょうどライラックが咲く頃だから、リラ冷えっていうんだよ」
「なんだ。そうだったんだ」
「もしかして何も知らずに手伝ってくれてたの?」
誤魔化しきれずに目が泳ぐ俺を見て、三浦さんは心底楽しそうにけらけらと笑った。
「優しいね」
そう言って伸びをする三浦さんをとても直視はできない。俺は空を仰ぎ見た。視線の先ではライラックの蕾が綻び始めていた。