本格的に降って来た。
 踏む度に足下から響くシャリシャリとした音が鬱陶しい。
 先週までの秋の名残はどこへやら。いざ降り始めるとあっという間に見慣れた光景へと変わってしまった。
 下へ視線を落とすと、白一面になった河川敷から観光客らしき集団がこちらにシャッターを向けている。俺としては高校と家を繋ぐただの通学路なんだが、この旭橋は観光名所として有名らしい。物の価値って人によって違うよな。
 おー寒い寒い。早く家に帰ってぬくぬくせねば。
 手袋の上から両手を擦っていると、柵から川を眺めている人物が目に留まった。腰まで伸びた長い黒髪と、ロングコートのブラウンとのコントラストが印象的な女の子だ。
 こんな子いたっけ?と思いながら彼女の背中を通り過ぎた直後だった。
「おわっ!?」
 突然、後頭部にドシャッとした衝撃が走った。反射的に触れると雪の残骸が手袋に付いていて、振り返るとさっきの女の子がこちらを見ていた。投げられたらしい。
 だが、何で?という言葉が、大きく跳ねた心臓の鼓動に止められてしまった。流れる様な髪、凛とした瞳、白い肌に映えるピンクの唇。
 つまり、メッチャ可愛かった。
 ジッとこちらを見つめられたので言葉に詰まっていると、女の子は無言で走り去ってしまった。

「って事があってさ」
「恨みでも買ったんじゃないの?」
「そんなバカな」
 洗い物をする母親が背中で恐ろしい事を言って来た。この平凡男にそんな大それた事が出来る訳ないだろう。
「雪玉と言えば、あの娘元気かしら?」
「あの娘?」
「小さい頃、旭橋であんたよく雪ぶつけられて泣いてたでしょ?覚えてない?近所の女の子」
 ぬ。何となく覚えてるぞ。忌まわしい記憶が蘇る。
「あの短髪ゴリラか」
「ゴリラって。活発な娘だったからよく覚えてるわ。東京に転校してそれきりなのよね」
「きっとコンクリートジャングルで逞しく育ってるさ。んな事より風呂風呂っと」
「でも何だかんだ言って好き同士だったから、結婚の約束まで……ってあれ?居ない」

 いつもの通学路、いつもの風景。
 だが、昨夜ゴリラ女の話を聞いた時から、俺はモヤモヤしていた。大事な何かを忘れている様な気がする。そう、俺にとって極めてセンシティブな何かが……ん?う、嘘だろ?
 また居た。
 焼き直しの様に昨日の女が川を眺めている。
 一瞬文句をつけようかとも思ったが、トラブルに発展するのは御免なので、気付かれない様に立ち去る事にした。背中に差しかかる時はヒヤヒヤしたが、無事通過に成功。昨日は何かの間違いだったんだろう。
 安心した様な、なぜか少し残念な様な……
「うごっ!」
 ドシャッという音と共に、昨日と同じ感覚を後頭部に覚えた。まただ。また投げやがったこの女。間違いない。明らかに俺を狙ってやがる。
「おい!お前何しやが……ぶへっ!!」
 まるで振り向いた瞬間を待っていたかの様に雪玉が顔面にヒット。その場でケツからスッ転んだので優しく撫でていたら、いつの間にか女が目の前に立っていた。
 このヤロー、一体何のつもり……
「相変わらず間抜けた顔してるのね。『いつか雪の美術館で結婚式を挙げよう』って言った時はカッコよかったのに」
 そう言いながら見せて来た彼女の左手が目に入った瞬間、渦巻いていたモヤモヤを払う様に、ずっと眠っていた記憶の引き出しが勢いよく開かれた。
 深々と降り注ぐ雪。薬指を通るおもちゃの指輪。涙を落としながら笑う女の子。
「……その指輪っ!る、瑠衣か?」
「ムカつく。やっと思い出した」
「だ、だって!あの時は髪短くてゴリラみたいな女……ブホッ!」
 撃ち下ろされた雪玉が口にイン。
「減らず口は変わらない、と。ねえ、せっかく帰って来てあげた幼馴染に何か言う事あるんじゃないの?」
 ペっと吐き出し、纏わりついた雪を払いながら立ち上がる。瑠衣の薬指を包むちゃちな指輪を再び見た俺は、誤魔化す様に鼻の下を擦った。
「あーその、なんだ……お帰り、瑠衣」
「うん。ただいま、太一」