「ローソク出ーせー出ーせーよー。出ーさーないとー。引っかくかっちゃくぞー。おーまーけーにー噛み付くぞー」

 いつもならば薄いアパートの壁を突き破って、朗らかな子供たちの歌声が響いてくるはずだった。

 けれど今日は生憎の雨。響いてくるのは無機質な雨音ばかり。

 テーブルの上の派手な菓子袋を見下ろし、小さくため息をついた。

 向こう二週間は口に合わない甘ったるいスナック菓子を食べる羽目になりそうだ。

 北海道に単身赴任になってから三年になる。この辺りでは七夕にローソクを貰うために、仮装をして歌いながら練り歩くという文化がある。真夏に行われるハロウィンといっても差支えがないだろう。

 一年目はそんな文化を知らず、訪ねてきた子供に何もしてあげられなかった。子供たちのガッカリとした顔は今でも鮮明に覚えている。

 去年は意気揚々とローソクを用意したのだが、どうやら最近の子供はお菓子の方が喜ぶらしいことを知った。

 そして今年。子供たちが好きそうなお菓子を今年こそ渡せると思っていたのだが……雨天中止だそうだ。

 わざわざ子供たちが集まっている施設を訪ねてまでプレゼントするのも億劫で、俺は一人寂しく発泡酒の缶を開けることにした。

 調子に乗って用意した鮮やかな短冊が、いやに目について仕方がなかった。

 グダグダと昼間から酒に浸り、三本目の缶を開ける頃だった。無遠慮にドアを叩く音が響いたのは。

 ドンドンドン。安アパートの壁は容赦なく振動する。

 しかしいくらボロいとはいえ、当然アパートにはインターホンくらいついているのだ。

 何故わざわざ扉をたたくのだろうか。

 不気味に思った俺は、しばらく扉を開けずに様子を伺うことにした。

 すると三秒もしないうちに、再びドンドンドン。先ほどよりも力強く叩きつける音がした。

 ふと思い出すのは、本州ではもう間もなくお盆を迎えるということ。

 ――もしや、せっかちな何か良からぬものが

「早く開けてよ!」

 不安で思考が埋め尽くされようとしたまさにその時に聞こえた、怒りに満ちた声は、聞き馴染みのあるものだった。

 慌てて扉を開けに走る。

「――おっそい!!」

 扉の前に立っていたのは、眠りこけてしまった娘を抱いている妻だった。

「……ごめん」

 いくつもの疑問を飲み込んで、俺は素直に謝罪し、妻の細腕から娘をもらい受ける。

 

「北海道では、今日が七夕なんだ」

「へぇ」

「雨なのに会えたな」

 すぐに柄にもないことを言ったことが恥ずかしくなり、俺はそそくさと部屋の奥へ向かった。

 しばらくしてから背後から、妻の吹き出す声が聞こえてくる。 

「知らないの? 七夕の雨は、会えた喜びの涙なのよ」

「……へぇ、それは知らなかった」

 ちょうどお腹がすいたのか、腕の中で娘がぐずりだす。久しぶりの泣き声は記憶の中の声からずいぶんと進化していて、鼻の奥がツンと痛んだ。