エゾヒグマ館、ホッキョクグマ館、エゾシカ・オオカミ舎など、円山動物園には見どころが多くある。
 動物たちののびのびながらも堂々とした生き方を目の当たりにするたびに、自分の悩みがちっぽけに感じられるため、もう何度となく足を運んでいる。

 円山動物園に行くとき、常に常備しているのがスケッチブックだ。
 よく動くため正確なスケッチはできないが、その分細部にまで目がいくようになり、体の構造を知っては一人で小さな感動を覚えていた。

 今日も今日とてスケッチブックを広げて鉛筆を走らせる。
 本日のスケッチ場所はサル山だ。縦横無尽に動き回るニホンザルに苦戦しながらも、夢中で手を動かしていく。

 一通り描き終えて顔を上げた瞬間、すぐ隣から良く通る美しい声が空気を震わせた。

「おぉー、佐野くんってやっぱり絵が上手だね」

「うわっ!」

 突然聞こえてきた声に驚いて声を上げると、僕の声に呼応するようにサル山のニホンザルがキキ―ッと鳴き声を上げた。

「み、みみみみ美園さん!?」

「はい、私が美園ですー」

 動揺した僕の声とは対照的に、いつもと変わらぬ穏やかさをもって美園さんが答える。
 大学の演劇サークルで常に主役として舞台を引っ張る彼女の存在感は、舞台を降りても健在だった。

 圧倒的な美貌とスタイルをもつ美園さんのどこを見たらいいのかわからず、助けを求めるようにニホンザルに目を向けるも、ニホンザルは僕の動揺など知ったことかと、それぞれが自由に動き回っている。

「あ、あのどうして僕の名前を……」

「えー、同じ演劇サークルの仲間じゃん。ちゃんと名前覚えてるよー。舞台美術担当の佐野弘昌くん」

「へぁ?」

 間抜けな声に負けじと、変な顔をしている自覚はあった。
 僕含め美園さんの魅力に惹かれた人達が多く集まった演劇サークルは、かなりの大所帯だ。裏方の地味なメンバーを、まさか美園さんがフルネームで覚えてくれているとは思う由もない。
 驚きのあまり気の抜けた態度になってしまうのは、責められることではないはずだ。

「前の舞台の背景でタンチョウ描いてくれたのは、佐野くんでしょ?」

 問いかけではあったが、断定的な言い方だった。力強い眼差しを注がれて、緊張しながらも頷いて肯定する。

「私あの背景好きだったんだ。光を反射した湖に佇むタンチョウの羽の美しさと繊細さに目を奪われた。……実は携帯の待ち受けにしてたりして」

 少し恥ずかしながら美園さんが見せてくれたのは、携帯電話の待ち受け画面だった。
 そこにはひっそりと僕の自信作としていたタンチョウが映し出されていて、一気に体温が上昇する。

 思ってもみなかった美園さんとの繋がりに、何も言えずに小さくなる。
 僕の態度に美園さんは気を悪くすることなく、ふんわりと微笑んだ。

「ここで会えたのも何かの縁! ということで、一緒に動物園回ろう?」

 恐れ多い申し出に、辞退するべきだと頭の中でもう一人の僕が叫ぶが、美園さんに笑顔を向けられている僕は、いつもよりもはっきりとした声で返事をしていた。

「はい! 喜んでっ!」

 ……まぁ、なんだ、その。
 僕もまさしく動物の一人ということで、ここはひとつ許してほしい。

 ニホンザルがキキ―ッと鳴く。
 仲間である僕を祝福するような、からかうような、そんな鳴き声だった。