「んー! 今日はいっぱい遊んだね。マリンパークニクス楽しかった?」

 運転席に座ったママが、小さく伸びをして私に顔を向けた。
 楽しかったと答えると「ママも楽しかった」と返されて、とっても嬉しくなる。

 天井まである水槽の下を通ったとき、水の底を歩いているような気分になった。
 頭の上をとても大きなサメが通ったときは、少し怖くてママの手を握ったけど、それ以上にわくわくしていた。

 海外のお城のようなおしゃれな水族館で見た1万匹のきらきらしたイワシや、緑や青のライトに包まれたクラゲが、まだ瞼の裏にいるみたいにふよふよと泳いでいる。

 どのコーナーも楽しかったけど、一番印象に残っているのはアシカのショーだ。
 くりっとした丸い目に、ちょっととぼけた顔がかわいいアシカたちが、次々と繰り出す技に毎回声を上げて驚いた。

 ママすごいね!と、何度もアシカを指差しては笑った。
 こんなに笑ったのは、久しぶりだった。

「アシカのキーホルダー買えてよかったね」
「うん。かわいいキーホルダー買えてよかった」

 アシカのショーを観た後に、お土産コーナーで買ったアシカのキーホルダーをポケットから取り出す。

 ――最初に感じた通り、やっぱりアシカと似ている。

 ふにゃりとしたアシカの表情とよく似た人物を思い出して、きゅっとキーホルダーを胸元に握りしめる。

「……ママ」
「なーに? どうしたの?」
「学校、行けなくてごめんね」

 ママが目を見開いて、息を吸い込んだ。
 滅多に見ないママの動揺した様子に、どくりと心臓が嫌な音を立てる。

「あの、みんながやっていることが、できなくてごめんなさい。普通にできなくてごめんね。私が学校に行けないのは、ママのせいじゃないよ。ごめんなさい……」

 罪悪感からぽろぽろと言葉が零れ落ちていく。
 もっと上手く言いたいのに、思考も感情もぐちゃぐちゃで上手くまとまらない。

 言葉にできない想いが、今度は涙になって出てきた。
 三年生にもなってママの前で泣くことが恥ずかしくて、洋服の袖で目を抑えるも、涙はちっとも止まってくれない。

「有紀」

 名前を呼ばれるより早く、温かい体温に包まれた。そのままぎゅっとママに強く抱きしめられる。

「有紀が謝ることなんて何もない。有紀は人を思いやることができる優しい子よ。それだけ
で十分、ママは嬉しいの。だから、泣かなくていいの」
「うん、うん……。……ねぇ、ママ」
「なぁに?」
「…………パパのせいでもないよ」

 しゃっくりを上げながら答えると、ママの身体が強張った。
 それからゆっくりと力を抜いて、私を抱きしめたまま頭を撫でてくれた。

「……わかってる」

 ママの声が泣いている私と同じように震えているのがわかって、顔を上げずに胸元に頬を寄せる。

 しばらく二人でぎゅっとしたまま、一緒に気持ちを外へと吐き出していく。
 鼻をすすりながら、握りしめていたキーホルダーを少しだけ掲げる。

「パパのお土産に、アシカのキーホルダー渡していい?」
「もちろん。有紀からのお土産、きっとパパは喜んでくれるわ」

 三人の生活から二人になった生活に、戸惑うことはまだいっぱいある。
 けど、多分そのうち、ゆっくりと二人の生活が普通になっていくように感じる。

 パパとママが離婚した理由はわからないし、離れ離れになったことは寂しいけど、パパとママが好きなことには変わりはない。

 三人で行くことはできなくても、今度はパパとマリンパークニクスに行くのもいいかもしれない。

 ママが鼻をかんで、買っていたペットボトルのお茶を飲んだ。
 同じように自分の分のお茶を飲んで、大きく息を吐く。

「さて、暗くなってきたから、そろそろお家に帰ろうか」
「うん。帰ろう」

 アシカがいないお家に、ママとふたりのお家に帰ろう。

 私のシートベルトをチェックして、ママも自身にシートベルトを締める。
 エンジンがかかった車が走り出し、登別マリンパークニクスは少しずつ遠くなっていった。