見世物小屋から逃げ出した東野はすぐ近くの桟橋に横付けされている小船に乗り込んでいる。括られていたロープを外して、小船は桟橋からゆっくりと離れていくのが有雪から見えた。なんらかに備えて事前に逃走経路を用意していたのか不明だが、もしそうなら東野が賢い人間だということがわかる。走った所で追いつかないと察した有雪は瞬時にその場から消えた。

 港を目指して小船を漕いでいた東野は櫂が動かなくなっているのに気が付く。水面を見ると辺り一面、凍り付いているではないか。息を飲んだ東野が寒気に身を縮こまらせる。

「君を許すわけにはいかないなぁ」

 声の主は、有雪。先程までは見世物小屋付近にいたが小船の上まで瞬時に飛んできた。船の縁に浅く腰掛けて、東野のオッドアイをじっと見つめる。暗くて彼の右目が緑掛かっているのは有雪にはわからないが、心の中まで見透かすかの様に視線を逸らさなかった。

「やぁ、お兄さん。凄い手品を持ってるみたいだね。是非、ウチで見世物として披露して欲しいね」

「生憎と見世物じゃないんだ」

「残念だよ。それと『許さない』ってことは殺すってことと同じ意味なのかい」

東野が首を傾げてへらっとと笑う。どこまでも軽薄な態度に有雪は「そう」とだけ短く返すだけ。精霊が人を殺めること滅多に無いが境界線を越えた人間は許さないというのが有雪の信条でもあった。

「だが、俺みたいな人間も必要だと思けど」

「君を必要悪とは思わないね。悪そのものだ」

「へぇ。なにを基準に悪と考える?」

「楽しむから。他者を苦しめて、殺して、死なせて。俺が守りたいと思う人間は少なくともそんな人間じゃないんだよ」

 故に君は悪なんだ、と有雪が口元に弧を描く。取って張り付けた笑顔に東野もにこりとした。