私は夏の札幌駅に到着した。
やっぱり、逃亡するなら北に限る。
まあ、テレビドラマに影響を受けただけなんだけど。
寝台車に配慮してマナーモードにしていたスマホがまたブルブル振動した。
「気にしてくれてるんだ。まあ、許す気にもなれないけど」
彼氏からの連絡を無視した私は、喧嘩の理由を思い出す。
彼氏が会社でもらった野球観戦ペアチケットを使い、私達は野球を見ていた。
しかし、ノーアウト満塁で3点差を逆転できるという大チャンスで、私達の地元チームの4番打者が見逃し三振したのだ。
私はこう言った気がする。「このヘボ野郎! 金返せ! 野球舐めてんのかぁ!?」と。
確信が持てないのはビールを次々に煽って酔っていたからだけど。
私は彼氏に暴言を咎められて口論を始め、アルコールがさらに回り胃の中を戻したような……気がしないでもない。
うん、覚えてないから、そんなことはしてない。そのはずだ。
私は何度かスマホ操作を誤りながらも札幌の観光地を調べ始めた。
「モエレ沼公園……なんか自然公園っぽくていいかも」
傷心旅行で、自然公園を美女が一人歩く……これ以上にない絵になりそうではないか。
うん、美女は人前で嘔吐しない。だから私は美女だ。
私はもう雑念に惑わされまいと、モエレ沼行きへのバス停がある、北34条行きの地下鉄へ乗り込んでいった。

「はあぁあ!?」
私は到着するやいなや驚愕の声を上げた。
何だここは。こんな巨大な公園をなぜ札幌市内に作る? 土地の無駄じゃないのか。これは税金で作られたのか? 市民は反対しなかったのか?
余計なお世話が次々と思いついたが、来た以上は元を取るべく私は入口を通ると、広大な芝生が広がり、巨大なガラスの建築物や、展望台などが点在していた。
展示物が多すぎて、一日では見尽くせない博物館は知ってるが、広すぎて歩き切れる気がしない公園が、この日本にあるとは……
ここでは海の噴水というところが、一日に4回、水の彫刻と呼ばれるプログラムショーをするらしい。
噴水は私のいる入口付近からも見えるし、そんなに離れているように見えない。少し日差しは暑いが大丈夫だろう。
私はショーを間近で見れれば水しぶきも浴びて涼しくなるだろうと考え、噴水へと向かっていった……

歩けども歩けども、私は噴水にたどり着けずにいた。
蜃気楼を見ているわけではない。歩く度に確実に噴水は大きく見えてきている。
しかし、噴水も私達の想像するサイズとはあまりにもかけ離れているほど巨大らしく、実際には恐ろしいまで距離があったのだ。
しかし、引き返すにも凄まじい距離が今となってはあるのだと悟り、焦りを覚えた。
「引き返したところで、入口の近くに自販機なんてあったっけ? あっ……!」
私は草が少し盛り上がっているところにつまづき、地面に膝をついてしまう。
照りつける太陽の強さに屈し、意識が遠ざかっていく……

——!!
ポケットの中のスマホが震え、私はハッとなる。
スマホには、「無事か!? 生きてるか!?」という彼氏のメッセージが残されていた。
「あはは、普段なら何を大げさな、と思うところだけれど……」
実際、危なかったかもしれないと思えただけに、彼氏の心配を嬉しく思えた。
私が改めて噴水に向かうと、ちょうどプログラムショーが始まった。
私は水の織りなす芸術と涼しさを堪能して上機嫌になり、彼氏に迷うことなく電話をかけた。
「恵美子! よかった……心配だったんだよ」
「ごめんね? のぼせ上がった頭を冷やしてたんだ。もう怒ってないよ」
「俺も悪かったよ。恵美子の一部分を見ただけなのに、その……結婚するのは不安だって思って悪口言っちゃってさ……」
「じゃあさ、仲直りにまたもう一度、野球を見に行かない?」
「え? なんでまた野球なんだ?」
「だって、私の怒りなんて、スタジアムみたいに小さいって思ったんだ♪」
私はマップアプリを開き、モエレ沼公園の北東にある球場の狭さを見て、微笑んだ。