体全身に安心を与えてくれるエンジン音、座席から伝わる心地よい振動、右足の踏み込みに呼応して加速する愛車。俺は今日も今日とて馴染みのコースを一人で走らせていた。
 ここは道々604号線。
 一部の人々からは、裏パノラマラインと呼ばれている峠だ。
「悪い、やっぱ今夜はやめとくわ……」
 峠に出発する前にかかってきた電話を取ると、そいつは開口一番にそう言った。電話の相手は今日峠バトルする予定だった対戦者だった。
 ただ、その理由がふざけていた。
 裏パノラマラインに出没するゴーストカーが怖いから行きたくないという話だ。
 一瞬文句を言おうと思ったが、電話越しに聞こえる声が震えていて、どうやら本当に恐怖に襲われている様に感じたので渋々了承した。
 ツレの数人が何度か遭遇したらしく、ゴーストカーの噂は俺の耳にも届いていた。幽霊の様に後ろをピッタリとくっついて来て、まるで車ではない動きをするという話だ。
 最初は皆冗談半分で聞いていたが、目撃者が増えて行くにつれ、次第に恐怖が伝染したように走りを止める奴らが続出したのだ。
 慣れ親しんだコーナーを鮮やかにドリフトで曲がって行く。アップダウンの激しいコースだが、その全てを知り尽くしていた俺は誰にも負ける気がしなかった。
 ゴーストカー?馬鹿馬鹿しい。来るなら来てみろ。ブッちぎってやるよ。
 そう意気込んでいた時だった。突如としてバックミラーに2つの光が映し出されたのだ。
 最初は走り屋の誰かかと思ったが、窓を少しだけ開けて、それがゴーストカーである事を確信した。
 エンジン音が無いのだ。
 まさにその名の通り、ゴーストカーは幽霊の様な挙動で無音で俺の車を追従していた。
 俺は瞬時に思考を切り替え、ミラーからフロントガラスへ視線を向けた。
 激しく協奏するアクセルとブレーキ。忙しく回転するステアリングハンドル。いつもよりもマージンを取らずにコーナーに侵入し、全力で峠を攻めた。
 だが、それでもゴーストカーを振り切る事が出来ない。どんなにコーナーを攻めても立ち上がりでピタッと食いついて来るライトに、俺は徐々に恐怖を感じていた。
 そして、恐怖は焦りを生み、焦りが操作を狂わせた。コーナーへの侵入速度を誤ったのだ。
 車体のバランスが崩れ、側道へ投げ出されそうになるクルマを繋ぎ止めるために、俺はハンドルを大きく逆に切った。
 地面とタイヤが激しく擦れる音を響かせながら、道路上をクルクルと何度も回ったが、幸いにも側道へダイブする事だけは避けられた様だ。
「ふうっ、危なかった。何とか最悪の事態は……うおおおっっっ!!」
 愛車が完全に静止した事にホッと一息ついたが、窓をドンドンと叩く音で忘れていた恐怖が膨れ上がった。
 まさか本当に幽霊が!?
 はやる鼓動を抑えながら、音がする方向を両指の間から恐る恐る確認すると、2人の子供が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「お兄さん!大丈夫ですか!?」
「怪我は無いですか!?」
 そう捲し立てる子供達と自分自身を落ち着かせ、俺は逆に2人に話を聞く事にした。
 彼らはこの辺りに住んでいる双子の兄弟で、様々な工作物を作っている自称科学者との事だった。
 そして、例のゴーストカーの正体も判明した。
 双子が手元を操作すると、先程のコーナーから例の2つの光がこちらへやって来て、俺の前で宙に浮かんでいる。
「これは……ドローン?」
「はい、たまにそれぞれで作ったドローンを競わせて遊んでるんです」
「でも物足りなくなって、最近は走り屋さんと競争してたんですよね」
「それにしてもお兄さん!今までで一番早かったですよ!」
 やっている事に対して年相応のはしゃぎっぷりを見た俺は、何となく怒る気になれず、ただ脱力した。
 つまり俺達走り屋が恐れおののいたゴーストカーは、2つのドローンの光が車の様に見えたというだけの話だったのだ。
 そりゃエンジン音も聞こえないハズだ。
 その後、知らない人間には二度とやるなと注意した代わりに、勝負したかったらいつでも相手してやるとも約束してやった。
 まさかバトルの相手が車じゃなくなるとは思わなかったが、それはそれで面白いのかもしれない。