悪夢の様な強行スケジュールがようやく終わりを迎え、プログラマーである池崎は椅子の背もたれに全身を預けた。
 緩やかだったはずの新作ゲームの開発期間が、「やはり秋にリリースしよう」という数字ばかり見ているお偉いさんの思いつきで、地獄の様な日々に変貌を遂げたからだ。
 横に座っている同僚の山本もまた被害者である為、終戦の目途が立つや否や、口から魂が抜けて行ったのが見えた。
 ただでさえ厳しいスケジュールの中、シナリオの唐突な変更も加えられたことで、こうやって遅くまで作業をする必要があったのだ。
 他の社員達は、札幌には滅多に来る事のない台風襲来のニュースで早々に帰宅。
 2人を除いて誰も居ないオフィスには、暴風を吹き付けられた窓ガラスが、ガタガタと小刻みに揺れる音だけが鳴り響いていた。
 電車が動く予定が無い事をスマホで確認した山本は「こりゃしばらく缶詰かもな」と呟き、疲れ果てて何もする気が起きなかった池崎は、作業用PCのモニターに映る新作ゲームのオープニング画面を何となく眺めていた。
 モニターからは家の中に閉じ込められた少年が、不安げな表情でこちらを見ていた。
 このご時世にドット絵の脱出ゲームなんて誰が買うんだよ、と心の中で愚痴をこぼした池崎に、山本が囁きかけた。
「なあ、池崎。このビルに流れてる噂を知ってるか?」
「噂?」
 山本曰く、このビルに入っている別の会社の社員が、子供の幽霊を目撃したらしいとの事だった。バカバカしい、と一笑に付す池崎だったが、微かに聞こえた誰かの足音に反応して、席を立ち周囲を見渡した。
「何だよ、やっぱビビってんじゃねえか」
 池崎を茶化す山本も、徐々に大きなっていく足音と、響いて来る誰かの声に怖気が走る。
「して…してよ…」
 確かに聞こえる不明瞭な子供の声。
 そして、何故か明滅するオフィスの照明。
 心拍数が急激に上がり、キョロキョロと辺りを見渡す2人。
 その雰囲気に耐えられなかったのか、山本は遂にうずくまり、拝むようにして両手を上げながら許しを乞い始める。池崎も全身が硬直して動けずにいたが、この場から逃げ出すべく、何とか抵抗して1歩足を踏み出した。
 その時だった。
「出してよおおおおお!!」
 そう叫ぶ白目が無い青白い肌をした子供が、池崎に向かって飛んで来た。
 恐怖が体の芯から湧き上がり絶叫した池崎は、反射的に両手で顔を塞ぎ、後ろへ仰け反ぞった勢いで足を滑らせると、卓上のキーボードに後頭部を打ちつけて倒れ、明滅していたオフィスには完全な暗闇が舞い降りた。
 ガタガタと震える体をしばらく抱きかかえていたが、謎の少年の気配は感じない。
 厄災は過ぎ去ったのかと、ゆっくりと目を開けた時、再びフロアに足音が鳴り響いた。
 錯乱する2人だったが、こちらを照らす眩いライトの向こうには、池崎達の叫び声を聞きつけて飛んで来た壮年の警備員が居た。
 全身から力が抜け安堵する2人。
 オフィスには再び照明に明かりが灯ったが、警備員はビルに停電など起こっていないと言う。
 そんなハズは無いと、2人が今起こった事を捲し立てる様に警備員に説明すると、苦い顔をした警備員は「ここだけの話だ」と前置き、このビルが建設される前の話を聞かせてくれた。
 警備員によると、大昔この場所には火災で全焼してしまった保育園が存在し、その時に逃げ遅れた子供が1人死んでしまったらしい。
 しかし、どれだけ探しても遺骨の欠片すら見つからなかった為、そのままビルを建ててしまったという話だった。
 先程の恐怖が未だに尾を引いている2人だったが、今も尚このビルの地下に埋められているかもしれない子供の事を考えると、少しだけやりきれない気持ちになり、合掌するのだった。
 モニターには誰も居ない家だけが表示されていた。