「はぁ、こんな所にもゴミか。嘆かわしいことじゃ」
 いつもの散歩道を歩いていると、お菓子の袋が地面に散乱していた。この地に生まれ出でて70年以上が経つが、街の景観は下落の一方を辿る。儂が幼い頃はこんな事はなかった。
 ふと在りし日に思いを馳せる。
 日が暮れると外で人に会う事はなく、静かな雰囲気の中で夜の澄んだ空気を味わいながら散歩するのが好きだった。夜空には満点の星空。まるで世界でただ一人自分だけが存在しているかの様な万能感を、子供ながらに感じていた。そんな散歩の時間が何よりも大切だったのだ。
 だが今はどうだ。
 近所にある幸福駅が数十年前に観光地化されてからというもの、ここを訪れる観光客は年々増えている。『らいとあっぷ』なる演出が施される為、その人波は陽が落ちても途絶えるどころか、さらに増すばかりだ。
 幸福駅をに行けば幸福が訪れるなど、所詮誰かが造った創作話なのに、よくもまあここまで人が集まるものだ。そして人が集まれば、ゴミも集まる。
「ゴミ箱は設置されているというのに、どうしてこうもゴミが落ちているんじゃ」
 思わず心の声が吐露してしまったらしい。
 ここ数十年の環境変化の影響で、散歩のついでにゴミを拾う事がすっかり日課となってしまっていた。人混みに紛れるのも嫌だったので、夜の帳を払いのけ、早朝の散歩へと切り替えたのはいつだったろうか。全くもって嘆かわしい。
 儂は誰に聞かれる事も無い溜息を深く外へと吐き出した。
 うう、それにしても腰が痛い。今日はまた一段と痛みが鋭い日の様だ。ズキズキと迫りくる痛みをだましながら歩いていたが、幸福駅に着いた所でとうとう限界が訪れた。
「うう……よっこいせ……はぁぁ」
 儂は幸福駅の入り口にもたれ掛かる様にして座り込んだ。すっかり慢性的となってしまった腰痛の原因は分かっている。
 おそらく、何十年もゴミ拾いを続けていたせいで、腰にかけ続けていた負担が爆発したのだ。それでもゴミを拾う事を止めなかったのは、馴染みの道が汚れていくのを、黙って見ていることが出来なかったからに他ならない。
「儂が愛した土地じゃからのう……」
 この駅が本来の役目を終えた後違う役割を担った様に、時代は変化するものだ。別にそれは悪い事ではない。だが、変わらないものもあって良いのではないかとも思うのだ。
 家族からは「何も拾わなくていいから体を大事にしてくれ」と口酸っぱく言われているが、こればっかりは譲れない。儂は全身が動かなくなるまで、昔の景観を取り戻す為にゴミ拾いを続けようと改めて心に誓った。
 その時、ふと横を見ると、1匹の白猫がこちらへトコトコと歩いて来て、儂の目の前で座った。
「なんじゃお前さん。見かけない猫じゃのう。どれ、おいで」
 こちらじっと観察する猫を撫でようと儂が手招きをした瞬間、信じられない事が起こった。
 なんと白猫が喋ったのだ。
「まだくたばってもらっちゃあ困る。少し幸福を分けてやるよ」
 驚いて開いた口が塞がらなかった儂を尻目に、そう告げた白猫は勢い良くどこかへと去ってしまった。
 儂は反射的に立ち上がり、白猫が去った方向へと走り出した。
「ま、待て!今喋ったのはお前さんか!?」
 どれだけ追いかけても、白猫の姿はどこにも見当たらなかった。息切れした体を支える様に両膝に手を置き、冷静に思い返す。
 あれは幻聴だったのだろうか?ああ、きっとそうだろう。あまりの痛みできっとおかしくなってしまったのだ。いやはや耄碌したものだ。
 儂は自嘲気味に笑うと元来た道へ振り返り、少し歩いた所でふと気づいた。
 腰痛が跡形もなく消え去っている事に。