空腹はもう限界だ。

朝飯はいつも通りしっかりと、しかし昼飯は平時の7割といったところか、かなり抑え目にしておいた。俺が働いている室蘭製鉄所の工場長には「メシの時間だけを楽しみに生きてるようなお前が、今日はどうしたんだ!?」なんて驚かれてしまった。同僚には「それだけしか食べないのか!体調でも悪いのか!?」と心配された。
いやいや、まったく言ってることはその通りだ。俺はメシの時間だけを楽しみに生きているようなもんだし。食欲が低まるなんて生きがいが失われることと同じだ。まあ、勘違いしないでほしいのは、たとえ風邪でも腹痛でも、俺からは食欲を奪えないってことくらいだ。食って寝れば、それが一番の幸福なのだ。

そんな俺がどうして昼飯を抑えるような暴挙に出たのかというと、これもまた食欲に起因する。食欲を抑える理由もまた食欲なのだ。どうしたって俺は、俺の食欲から逃れられない、逃れるつもりもない。だって、そのために生きてるんだから!

今朝、突然舞い降りてきた天啓。・・・・・・大仰に言っているが、こんな思い付きは度々降ってきているということには目を瞑ろう。いや、天啓だから耳を閉じよう。
ともかく、目覚めた瞬間になんとなく「ものすごくお腹を減らして食べる晩飯は最高に美味いのではないか」という、素朴な疑問が湧いてきたのだ。
空腹は最高のスパイス、なんていう言葉は聞いたことがあったが、お腹を減らして晩飯にありつこうとの実践には至らなかった。だって、空腹なんて我慢できないじゃないか!
子どもの頃から気になってはいた。しかし、子どもの頃の俺はもっと食欲に対して正直で、規則正しくしっかりと三食食べていた。社会性を身に付け、自制心を養ってきた大人の俺であれば、いくら我が最大の友であり敵である食欲が相手だとしても、少しは我慢することができる。

これが、人間的成長というものだな、とうなずく。
そう、人はいつだって、どんなシチュエーションであれ、自身の心の持ちようで成長していくことができるのだ。
なんと、自分はポジティヴな精神を持っているのだろうか。他人に誇れる長所だな。

・・・・・・もう思考を巡らせるのも限界だ。店にたどり着くまででエネルギーをほとんど使い果たしたというのにも、選ばせられるメニュー、店内に漂う芳しい香りがさらに胃を絞めつける。
これが極限状態なのか。達したことのない感覚でご馳走の到着を、文字通り垂涎している。

そして、ようやく。

それでは、「いただきます。」