そして翌日。

 今日こそはと、一人で釣りに出かけたら、またもやムチムチの人魚さんを釣り上げてしまった。

「へ?」

「あう! なんでもするから海に帰さないで、食べさせて!」

 人魚さんは昨日と同じく、アザラシみたいな尾をぴちぴちバタバタ。けれど言っていることは真逆だ。

「嫌ですよ。飯を奢るとなると、お金も時間も掛かるし名前も知らない人魚さんに、見返りもなしに尽くせるほど善人じゃありません」

 きっぱりと断ってそのままリリースしようとすると、人魚さんは短い手をうんと伸ばして俺の胸倉を掴んできた。

「ハルコㇿ!」

「へ?」

「私の名前!……人間は!?」

「……えと、貝沢です」

 勢いに圧倒されて、思わず返事をしてしまう。

「カイザワ! よろしく!」

「よろしくお願いしま……って、挨拶したくらいじゃ駄目ですよ」

 人魚さんは満面の笑みを浮かべて、べちーんと俺の肩を叩いた。

「よろしく!」

「いや、そんな風に誤魔化しても駄目ですから」

「……じゃあどうしたら人間の食べ物くれる? 私、お腹すいたよ?」

 潤んだつぶらな黒い瞳で見つめられ、言葉に詰まってしまった。

 その顔はズルいだろと言い返しそうになるのをこらえて、俺は拒絶の意思を示し続けた。

「何をしても駄目です。俺はアザラシ人魚なんてマズそうなんて食べようとは思いませんけど、人間は怖いって言われてきたんでしょ? 怖い人間に会う前にさっさと海に帰ってくださいね、人魚さん」

「ハルコㇿ……」

「俺は今日こそのんびり釣りを満喫するんです、早くお帰りください人魚さん」

「ツリ……」

 首をぎゅうっと縮めて、目をぎゅーっと瞑って、難しい顔をする人魚さん。フォルムがほぼ丸そのものになる。何度か見た姿だ。どうやら分からない言葉が出てきたときや困ったときの癖らしい。

「釣りっていうのは、こうやって針を垂らして、魚を獲るんですよ。何故か最近は人魚さんばっかり釣り上げちゃいますけど。例えばホッケとか……」

「ホッケ!」

 人魚さんはパッと顔をほころばせる。知っている言葉がそんなにうれしいのだろうかと思わず吹き出しそうになったのとほぼ同時に、人魚さんは冷たい冬の海に飛び込んだ。

 後に残された俺は一人、唖然とすることしかできない。

「……なんだったんだ」

 散々人を振り回しておいて突然帰っていくなんて。だが、これでようやく一人の時間を堪能できる。理不尽な苛立ちを引きずる必要なんてない。

 気持ちを切り替えて俺は釣り糸を垂らした。

「お!?」

 強いあたりを感じ、俺は釣竿を思い切り引き上げた。

「ホッケ!!」

 ――腕いっぱいに大きなホッケを数匹抱えた、ムチムチの、それはそれはとても良い笑顔を浮かべた人魚さんを釣り上げてしまった。

「ホッケってもっと沖の方じゃないと釣れないはずじゃ……」

「一杯泳いだ!」

「……あ、えっと……」

 褒めてくれと言わんばかりの人魚さんのドヤ顔に、たじろいでしまう。

「いや、そんなにたくさん貰っても困るし。そもそも俺、魚が食べたくて釣ってるわけじゃ……」

「!?」

 今にも泣き出しそうな顔のまま固まる人魚さん。その腕から零れ落ちたホッケが、ぴちぴちと地面を跳ねまわった。

「……せっかくなのでいただきます。ありがとうございます」

 ぱああああと効果音が聞こえてきそうなくらい、人魚さんの表情が明るく華やぐ。

「でもまずはちゃんと話をしましょうね? 善意の押し売りは誰も幸せになりませんから」

「あうあう!」

 人魚さんは首が千切れそうなほど、力いっぱい頷いてくれた。まったく悪意を感じない人魚さんの素直な姿にすっかり毒気も抜かれてしまう。

「うーん。でもこの量を一人で食べるとなると……燻製にでもするか」

「くんせー?」

 また人魚さんが難しい顔をしてまんまる化したので燻製の説明をしてあげた。

「くん、せー……」

 ……説明してもわからないらしい。

「仕方ないな」

 俺はため息をつきながら、鞄をあさった。