この私、渡部健一は東京人である。
本社からの転勤で札幌に住み着いたわけだが、私には理解しがたいことがある。
この街の子供たちには受験戦争という感覚が希薄なのだ。
中学受験を勝ち抜いてきた私には、いかんとも理解し難い。
なぜ中学受験がメジャーではないのか? 調べてみた。
そもそも札幌では成績トップクラスの高校が私立ではないのだ。
エスカレーター制度もへったくれもないほどに、教育機関が貧弱なこの町では、そんな文化は根付きようもない。
その訳か、私にとってどうも北海道の子供たちは怠けているように見えてならないのだ。
そもそも北海道はアイヌ民族のものである時期が長かった。
アイヌ民族は文明を発達させることを彼ら自身が望んでいなかったからこそ、本州を始めとする倭人たちに取り込まれてしまったのだと思える
今日もようやく仕事が終わったが、連休前だけあって、同僚たちは外食や飲酒、レジャーの話題で盛り上がっている。
どうも、彼らの遊びに便乗する気に私はなれない。
何か知的好奇心をくすぐるところへ癒やされに行きたいものだ。
みんながスマホを手にして話し合う中、私は効率よく会社のパソコンを使い、検索を続ける。
どうやら、この街には北大植物園という面白そうな施設があるらしい。
私は、同僚からの遊びの誘いを断り、家へまっすぐ帰宅することにした。

次の日、私は北大植物園を訪れ、展示物を見始めたが、私はカルチャーショックを受けた。
想像を遥かに超えていたという意味で。
アイヌ民族の使用していた薬用植物が展示されていたのだが、なんと彼らは、ほぼすべての内科治療に適した植物を見分け、利用していたのだ。
それどころか、出産の際に母体と新生児を同時に消毒するための薬まで製造し、使用していた。
病人の家の扉や病人の出た集落に繋がる立て札にかけて治療を祈願する、まじないのための植物も、見方を変えれば伝染病患者の存在を周囲に気づかせ、隔離するということではないか。
ましてや、本州に生えている薬用植物の大半が北海道には自生していない。
つまりは、当時は米を始めとする穀物すらも作れなかったであろう。
明治時代にアイヌ民族の協力を得られなかった倭人たちは、薬も食べ物も得られず苦しみぬいたに違いない。

私はひとしきり感心し続けながら、屋内の展示物を見ることにした。
そこにはヒグマや、今は絶滅したエゾオオカミなどの北海道の動物の剥製が展示されている。
巨躯を誇るヒグマの剥製を一目見て私は思った。「出会ったら死ぬ」と。
人間という種族の脆弱ぶりを思い知るには十分すぎるほどの強靭さが剥製になっても伝わってくる。
説得の余地すらない、大自然という死が理不尽かつ唐突に人を襲うこと。
そんな状況ならば、誰もが大自然の神に今日の無事を祈ったに違いない。
そして、アイヌ民族たちは自分たちを襲う猛獣たちに立ち向かい、冬すらも耐え抜く術を手に入れていったのだ。
彼らは決して低い文明に甘んじた原始人ではなかった。
北海道という過酷な自然界があまりにも強大すぎるがあまり、征服や開拓の余地がなく、共存を選ぶ他なかったのだ……
思い返せば、私がエリートコースを歩むことができたのも、教育システムが整っており、勉強が大きな利益を生むことがほぼ約束される東京に生まれ育ち適応しただけではないか。
頭ばかり達者な自分が、当時の北海道に生まれたとして、何ができたというのだろう。
今となっては、親と家で触れ合う時間が長く、子供の頃にたくさん遊べる、北海道の人々が羨ましく思えた……

私は展示をすべて見終えて、考えた。
真面目に働きさえすれば、衣食住に不満を感じず伸びやかに生きられるのが、北海道なのだ。
この街に親しめば、豊かな内面や感性をより見い出せそうな気がする。
——理解する努力を、してみよう。
私は来週末の残業の予定をキャンセルするメールを送る。
この私、渡部健一は東京人だが、今、北海道人にもなりかけている。